日本で一番低い山は天保山?

仙台市北東端の太平洋・仙台湾に面した場所にあり、七北田川河口の北側、蒲生干潟の西に位置している日和山(3m)は日本で一番低い山と認定(2018年現在)されています。
あれ?日本で一番低い山は天保山じゃないの?と思った方も多いのではないでしょうか。確かに天保山が一番低い時期はあったのですが、これには紆余曲折があるのです。
時代はさかのぼり1909年(明治42年)頃、地元住民によって山が築かれました。地元の漁師達が出漁の際に天候観測をするために築かれたので、この山は日和山と名付けられました。
その後高度成長時代に日和山の北側に仙台港が建設され、漁師達に利用されることはなくなりましたが、バードウォッチングや初日の出を見る場所、また釣り・サーフィン・潮干狩りに訪れる人々の憩いの場として愛されてきたのです。
そんな日和山に朗報が訪れます。1992年に国土地理院の職員による独自調査で、標高6.05m日本最低峰であると認定され、マスメディアにとりあげられました。
しかし、同時に強力なライバルも出現します。大阪市住之江区の南港にある天保山です。
天保山は天保2年(1831年)に安治川の土砂を積んで作られた人工の山です。
木津川と並んで大阪湾から大坂市中へ遡る二大航路のひとつであった安治川は、当時は淀川の本流にあたり、淀川が運ぶ大量の土砂を浚渫(しゅんせつ、港湾・河川・運河などの底面を浚(さら)って土砂などを取り去る土木工事のこと)する必要が生じました。
洪水防止と市中への大型船の入港をしやすくする目的で、1831年(天保2年)から約2年間、安治川では「天保の大川浚」とよばれる浚渫工事が行われました。

*絵は葛飾北斎作『摂州阿治川口 天保山 大阪』
大坂町人の熱の入れようは相当なもので、大坂町奉行指揮のもと、延べ10万人以上の労働力がつぎ込まれた浚渫工事は、工事自体がお祭り騒ぎだったと伝えられています。
浚えられた土砂を安治川河口に積み上げられてできた築山は十間(約20m)ほどの高さがあり、安治川入港の目印とする意図がありました。

そして時は流れ、上の写真が現在の天保山山頂です。
関西出身者としては天保山を押していきたいところですが、もはやこれはどうみても「山」と言うことはできないですよ・・・・(p_q*)
天保山は明治以降、どんどん削られて低くなっていきました。
周りの植え込みや石垣の方が山頂よりも高いというのがなんだかシュールです。
ところがこの天保山は、いわゆる「山」としての形は成していないとはいえ二等三角点もあり、標高4.53mで日本最低峰であるとの異説も唱えられたのです。
そして1996年、天保山が地形図に再掲載されることになり、日和山は日本最低峰の座を天保山に譲ることになりました。
そのため日和山は「元祖・日本一低い山」と称するようになりました。なんだか悲哀が感じられますね。
日和山の悲劇はまだ続きます。2011年3月に起きた東日本大震災による津波で山体が消滅したと報道されました・・・
しかし地元住民達は日和山が元々あった場所に砂利を積み上げていきました。その努力のかいもあってか、2014年4月、国土地理院の調査によって標高3mの山として認定されたと報道されました。
こうして日和山が18年ぶりに「日本で一番低い山」に返り咲いたのです!

*写真は2014年の日和山です。
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