槍ヶ岳と文学の意外な関連性

今から約100年前の明治42(1909)年、芥川龍之介が東京府立三中5年生のときに、友人らとともに案内人を雇って槍ヶ岳に登っています。
そのころの経験はのちに「河童」という作品になってます。上高地には当時から「河童橋」という名の橋がありました。

*写真はJR松本駅前の播隆上人像です。
槍ヶ岳というと”播隆上人”を思い浮かべる方も多いと思います。
播隆上人は1828年に槍ヶ岳に初登頂、厨子を設置し、阿弥陀如来・観世音菩薩・文殊菩薩の三尊像を安置しました。
さらに、自身の登頂のみでは満足せず、多くの人が山頂まで登れるようにするため、その後何度も槍ヶ岳に登り、その槍の穂の難所に大綱を掛けました。
さらに、より頑丈な鉄鎖を掛けるよう尽力しました。
もし播隆上人がいなければ「河童」という作品も書かれていなかったかもしれません。

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